現代霊園考

今日は朝9時から町内の避難訓練で、全員参加ということでしたので、参加したんですが、結局、半分も出てないんですよ。消火器の使い方、エアストレッチャー(人をくるんで階段でも引きずりおろすことが出来る道具)の使い方、心臓マッサージとAEDを学習しましたが、去年とおんなじじゃん、と思いましたが、今年は消防署からはしご車が来て、5階から人を救出する実演がありました。訓練じゃなくてただの見物、という気もしましたが、これを見たから7階に住んでいても安心だと安心感がふつふつと沸いてくるいい実演でした。それで11時まであったので、ああ、これでもう一日で一番いい午前中の時間が終わってしまった、どうすればいいんだ? いまさら遠出する気にもなれないので、ちょっとだけ近所の平和公園に出かけました。一番のお目当ての蛾もいましたが、ニトベエダシャクばかりで、ニトベエダシャクは個体変異がなくて、何匹いてもみな同じなんです。お墓まいりに来たのでしょうか、墓石にのったカラス、墓石に囲まれた木立で生を謳歌するスズメなどを観察しました。それから、墓石の観察をしましたが、(ほかに観察するものが無いから)古い墓石は小さいのもありますが、最近のは、みな三段重ねです。高度経済成長期にクリスマスケーキと墓石は三段重ねに決まっとる、ということになったようです。墓といえば、
♪私のお墓の前で、泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません♪
という歌がありましたが、この死者は自分のお墓が作られることは当然だと思っていて、しかもそのお墓が無意味だというんです。なんというわがままでしょう。お墓が作られるかどうかは、現在は五分五分じゃないでしょうか。一人暮らしのお年寄りがたくさんいる時代ですから、このお年寄りがなくなったときに墓が作られるかどうかは微妙ですね。
しかも、そこに私はいません、当たり前だろうが、いなくなったから墓だよ。眠ってなんかいません、当たり前だろうが、眠ってる人間を焼いたら犯罪だよ。
それはそれとして、♪私のお墓の前で♪、自分のお墓が作られるということを微塵も疑わないこの能天気は、一体どこでどうやって培われたのでしょうか。
国民に金をばら撒いて、国は国民に金をくれるもの、という誤った常識を植えつけた竹下が、みんな竹下が悪いんだよ!!(えー???)