大野晋著「 源氏物語」を読む

老人が古典を読む、それはいい話でしょうか?

源氏物語を読もうかなあと思って、とりあえず入門書かなあと思って大野晋著「 源氏物語」を読みました。

大野晋は日本語学者で、自分としては文化勲章くらいもらってるだろうと思っていましたが、ウィキによると、そういうことはないようです。

日本語ータミル語説で知られている方ですが、この説は今のところ、反対も多いようです。私は正しいと思います。57577が同じなんだから、否定しようがないと思います。

大野氏は南インド(現在タミル人のいるところ)から日本に人が来た、と考えてたようですが、自分はそれは違うと思う。

中国に黄河文明とは違う揚子江文明があった。地球の寒冷期に黄河文明は飢え、揚子江文明を襲った。揚子江から各地へ稲作を、揚子江文明をもって多くの人が逃げ出した。あるものは日本へ。あるものは南インドは。その後もいろいろあって、日本及び南インド以外では揚子江文明は絶えてしまった。

黄河文明の強みは文字を持ってることです。漢字です。揚子江文明が黄河文明に負けたのは文字を持ってなかったからだと思う。文字を持たない揚子江文明は言葉を記憶するために、言葉に節をつけた。それが57577であり、今でも関西で行われている、1234に節がついてる理由です。

さて「源氏物語」ですが、まずaの物語があった。これは美しい子供が生まれて、いろいろあって、結局ハッピーエンドで、若い女性向けの夢物語であった。

これが意外に男性にも読まれて、男性は、(面白いけど、女子供向け)とか言う。

女性が夢中になってるので、男性としては、一応押さえとかないとナンパうまくいかない! ということかもしれないが、作者の紫式部は、創作意欲を掻き立てられて、男性向けの物語、bを書いた。bは宮廷の男性が女性にちょっかい出して失敗する、という話で、大野氏によれば、心理描写とか、aの物語とは格段に精緻だ、ということです。

aとbを織り込んで、一つの物語にした。

その後cが書かれる。cは三角関係の見本帳だという。

その後dが書かれる。dは男女間の齟齬を書いてるという。文章はさらに精緻になり、書いた人以外誰にも読めないくらいになってしまった。

こんなようなことらしいんですが、これは大野晋著「 源氏物語」を読んだ私の感想で、本当に書いてあったのは何か、は私にはわかりません。

結局、恋愛小説らしい。

老人男が今更恋愛小説でもなかろうと思うので、「源氏物語」はやめて「徒然草」を読もうかな?