さて、自分はすごく気になるんですが、山椒大夫の出番がたいしてないのに、なぜ、「山椒大夫」という題名にしたんでしょうか?
山椒大夫のことを書きたかったんだけど、書けなくて、(安寿と厨子王)になってしまった! ということかと思います。
山椒大夫は、ロシア人か、ロシア人との混血だと思うんですが、鴎外はそういうことが書きたくて、山椒大夫という題名にしたんじゃないかと思いますが、それが書けなくて、(安寿と厨子王)しか書けなかったんですよ。
でも自分は、この話はすごく好きだ。
さて、最近Nラジオで「山椒大夫」が朗読されて、終わってだいぶん経つのに、自分は今だに、「山椒大夫」のことを、グズグズ考えています。
自分は森鴎外は秀才で、上手だけど、しょうもない小説を書いてると思います。
小説が芸術になるためには、何か、わけのわからないものが必要です。
「山椒大夫」は元があるので、森鴎外は翻訳は上手だから、「山椒大夫」も上手に書いたと思うんですが、山椒大夫の出番が少なすぎるよ。