7歳になっても言葉が話せなかった

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(祭神の天甕津媛命は『出雲国風土記』などに記載されている出雲神話の神という。社伝によると、以下の話が伝わっている。

  • 垂仁天皇の皇子品津別皇子7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に天甕津媛命が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の建岡君に、天甕津媛命を探し出すように命じた。
  • 建岡君は美濃国花鹿山(現岐阜県揖斐郡揖斐川町花長上神社)に登り、の枝で縵を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう。」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが阿豆良神社という。)

 

この題名はここからとりました。ウィキペヂアです。

そう言えば、耳や目が不自由という話は聞いても、言葉が不自由という話はあまり聞かないと思うんですよ。たいてい聞こえてないので話せない、ということになってるような気がする。この皇子の場合はどうだったんでしょうか? 聞こえているのに話せない、あるいは話さない、それは、神話の領域の話。

私が今朝夢を見て、あずら神社に行ったのは、私は言葉が遅かったのかな? 親からそういうことを聞いたことはなく、私が、記憶にない赤ん坊のころにつき人から聞いた話は、とにかく可愛くて、皆が奪い合って抱っこしてたってことです。

実は私は言葉が遅くて65歳になった今でも、何も言ったことがないのかも?

そして今日あずら神社にお参りして50円賽銭入れてきたので、これからペラペラしゃべりだすのかも?