泉鏡花の五十鈴川 「伊勢之巻」

泉鏡花の「伊勢之巻」を読んだら、伊勢の五十鈴川の描写がありました。

「川はご存知の五十鈴川、山は神路山。その姿の優しいこと、気高いこと、尊いこと、清いこと、この水に向うて立ちますと、人膚が背後から皮を透して透いて見えます位、急にも流れず、淀みもしませず、浪の立つ、瀬というものもござりませぬから、色も、蒼くも見えず、白くも見えず、緑の淵にもなりませず、一様に、真の水色というのでござりましょ」

ということです。

自分が去年行った時も五十鈴川は、鏡花が書いた通りでした。

自分は、近代の機械力を使って川を均してるだろうなと思ったんですが、明治36年5月に出た小説にこう書かれてるので、どうも昔から、五十鈴川はこうだったようです。

 

それで、引用した部分は、伊勢のはずれの茶店の婆々のセリフなんですよ。

よさげな客が来たので、うれしいが、酒も食い物も注文してくれたが、飲みも食いもせず、グズグズしてて夜の12時。12時まで店が開いてるのがびっくりです。旧の大晦日の話になってるんですが、それにしても今では考えられない話です。もう出てってほしいんだけど、(店閉めるから、出てって!)とは言わない。このセリフが素晴らしい。こんなセリフが言えるなら、茶店の婆々やめて文壇デビューしたらいいよ。

「伊勢之巻」という小説は、夢か現か判然としない、何が起こってるのかよく分からない、ものでした。

 

自分は、人間はじきに気候変動も戦争も経済も克服するだろうと思う。克服した後どうするか? 泉鏡花のわけのわからない小説読むしかないだろうな。