父親と「水戸黄門」

父親はTVで「水戸黄門」を見て感動して泣いたりしていました。
その父親ですが、幼い私の頬っぺたに火のついたタバコを押し付けて、「熱いか? ほれ泣け!」とか言ってたんですよ。
私は、感動というものを疑うようになりました。
自分は、父親譲りの感動性で「水戸黄門」を見たら感動して泣くだろうが、
でも、どんなに泣いても、自分で自分の感動を、信用することはできないです。
ひいては、他人の感動も信用していません。
その父親をお墓に入れて、母親も姉も弟も同じお墓に入れて。
姉は、「結婚に失敗したのは、お父さんのせい。おとうさんのせいで、男性を信じられなくなって…」そう泣き叫んでいました。
弟が死んだのも、お父さんのせいだと思う。
お盆で彼らがいるお墓にお参りしましたが、自分は生きていて、「水戸黄門」を見たら感動して泣くだろうが、自分の涙を信ずることは決してないだろう。