他力と自力

今日は朝雨が降ってたし、家でグズグズ今日の運勢などを読んでいます。

さる年、他力を説きつつ自力を貫いている悲しさに目覚め吉へ。

 

自分が家が浄土真宗だってことで、思い立って、阿弥陀三部経、般若心経、仏教聖典歎異抄を読みましたが、結構感じ入りました。

他力本願という言葉はよく知られた言葉ですが、理解はされていない、という風に思いました。

「他」は他人ではなく、阿弥陀如来、「本願」は極楽に行きたいとか願いをかなえたいとかではなく、仏になって、苦しんでいる人々を救う力を手に入れたい、ということとと読みました。歎異抄にそう書いてあると思う。つまり、(苦しんでいる人々を救う力を手に入れたい)という気持ちのない人には浄土真宗の教えは無意味です。

般若心経もたぶん理解されてないが広く知られている。

(相反するように見える二つのものは、実は同じものである)と書いてあると思うんですが、現在の世界情勢に当てはめれば、ウクライナに侵攻するロシアと、平和を願う反戦運動とは、実は同じものである、ってことですよ。これは受け入れがたい意見だろう。

歎異抄も般若心経も理解されてないが、人気です。

ここらが謎です。

三島由紀夫も理解されてないが人気だと思う。

 

さて、

さる年、他力を説きつつ自力を貫いている悲しさに目覚め吉へ。

これですが、もう浄土真宗じゃないが、何なのかわからないが、いいような気がする。